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☁️ 陶工房<雲> 中島健蔵さんとの出会い──動物たちが息づく笠間の器

🐾 初めての出会い──笠間・陶炎祭で見つけた“生き物の器”
2025年5月、笠間の陶炎祭(ひまつり)を歩いていたときのこと。
ふと目に入ったのは、白くま、パンダ、ラクダ、ハリネズミ、バク、ジンベエザメ、クリオネ、クジラ、カメレオン──
生き物たちが軽やかに描かれた器の数々でした。

ただ可愛いだけではなく、
どこか“生き物への愛情”と“人への温かさ”がにじむ線と表情。
その前に立った瞬間、
「この作家さんの器を扱いたい」
そう思ったのを今でも覚えています。

しかしその時、中島さんは
「少量しか作れないので、卸は難しいんです」
と丁寧に断られました。
笠間・水戸・つくば・益子の展示で手いっぱい──
誠実な作り手の言葉でした。

それでもあきらめきれずに一年。
2026年、クラフト小川の企画展<赤坂どうぶつ園>にお誘いしたところ、
中島さんは快く参加を承諾してくださいました。
念願が叶った瞬間でした。

🎓 走泥社とのつながり──“自由な笠間焼”の源流にあるもの
中島さんの器の“自由さ”と“遊び心”には、確かな背景があります。
学生時代、中島さんが学んだのは、戦後陶芸の前衛集団 「走泥社(そうでいしゃ)」 の中心人物、山田光。

走泥社は1948年、八木一夫・鈴木治らとともに結成された前衛陶芸家集団で、
「陶芸は器であるべき」という常識を覆し、
オブジェとしての陶芸(立体造形) を切り拓いた存在です。

その中でも山田光は、
白いマット釉の清廉さと、構成的で哲学的な造形を追究した作家で、
しばしば「知の山田」と呼ばれました。

そして、ここからがクラフト小川との深い縁です。

山田光は前衛的なオブジェ作品で知られる一方、
プライベートでは「門工房(もんこうぼう)」という拠点を立ち上げ、
普段使いのモダンな食器(クラフト)の優れたデザインも数多く遺しています。
クラフト小川が創業したばかりの頃、
父母が扱っていたのがまさにこの「門工房」の器でした。

加飾を排し、フォルムの美しさだけで勝負するストイックな世界。
白いマット釉の清廉さ。
使うための器でありながら、極限まで研ぎ澄まされた造形。

その緊張感と美しさを思い出すと、
中島さんの器の奥にある“芯”──
自由でありながら、どこか構成的で、揺るぎない美意識──
そのルーツが自然と理解できます。

中島さんは、そんな山田光のもとで研鑽を積み、
その後、美術科教諭としての勤務を経て笠間へ移住しました。

🌿 温厚で誠実──教員のような佇まい
初めてお話ししたとき、
中島さんの言葉や佇まいに、どこか“教員のような誠実さ”を感じました。

実際に美術科教諭として勤務されていたことを知り、
自分が小学校で図工を教えていた頃の空気と重なり、
妙に親しみを覚えたのを思い出します。

穏やかで、誠実で、
器づくりにも人柄がそのまま滲むような方です。

☁️ 笠間の自由さと、陶工房<雲>の世界観
1987年に笠間へ移住し、1989年に陶工房<雲>を開設。
「空を泳ぐ雲のように、自由でありたい」
そんな思いから名付けられた工房名のとおり、
中島さんの器は笠間焼の“自由な気風”を体現しています。

半磁器のやわらかな質感に、
動物や植物の絵柄が軽やかに描かれ、
同じ絵柄でも一つひとつ表情が違う。
世界に一つだけの“オンリーワン”の器。

普段使いの食卓にそっと寄り添いながら、
どこか物語のある時間を運んでくれる──
そんな器を作り続けている作家です。

🗾 ローカルから東京へ──クラフト小川としての思い
中島さんは「笠間のローカル作家ですから」と謙遜されます。
しかし、クラフト小川としては、
この世界観を東京でももっと紹介したい。

動物たちが息づく器を手にしたときの、
あの静かな喜びをもっと多くの方に届けたい。

笠間の自由さと、走泥社の精神と、
中島さんの温かい人柄が重なって生まれる器。
それを東京・赤坂から発信できることを、
心から嬉しく思っています。